識別個体数と回帰数
小笠原では、1987年から2003年までの17シーズンにのべ4,452頭のザトウクジラの尾ビレを撮影しています。これらの写真をマッチングした結果、その中から約1,100頭の個体を識別しています。このうち約半数は、小笠原へのリピーターとして2シーズン以上の来遊が確認されています。
1987年から2002年までのリピーター上位ランキングを見ると、雄が多いことに気が付きます。雄は雌よりも繁殖の機会を求めて動きまわることが多いと言われており、そのため人間との遭遇も多いのかもしれません。中でも、最も多くのシーズンにわたり識別されたクジラはO-120で、1989年に初確認されてから2002年まで12シーズンにわたり、ほぼ毎年小笠原で確認されています。O-120も、シンガーおよびエスコートとして確認されたこともあり雄と考えられ、我々の調査船との遭遇率も高かったのでしょう。しかし、上位ランキングの中には雌クジラのリピーターもおり、小笠原の海域がこれらのクジラにとって特定の繁殖場であることを強く示しています。
この小笠原のリピーターの割合は、同じような長期調査が行なわれている北太平洋のザトウクジラのもうひとつの繁殖場、ハワイのものと比べて大変高いことがわかっています。その理由として、小笠原に来遊するザトウクジラは、ハワイのグループに比べて狭い海域を繁殖場として利用する傾向が強く、再識別される確立が高いことが考えられます。しかし、島の規模と調査の方法の違いに要因がある可能性も考えられるので、今後これらの点に留意して調査・解析を行なわなければなりません。

標識放流法と生息数推定
クジラのように海で生活し、しかも行動範囲が広い動物の生息数を数えるのはなかなか困難です。このような生物の生息数を推定する1つの手法として、標識放流法(mark-recapture method)があります。これは標識を付けて放した生物が次に捕まる割合から、頭数や生存率などを推定する方法で、魚類などの調査でよく用いられています。ザトウクジラの場合は、標識を付けなくても、尾ビレの腹側の模様が自然の標識として利用できます。小笠原や沖縄で再識別した1994年までのクジラの記録を、生息数解析のモデル式を用いて生息数を推定したところ、約700頭と推定できました。また、北太平洋各地の研究者が1991年から1993年のデータをもちより、北太平洋全体の生息数を割り出したところ、6,000頭から8,000頭という数値を得ています。しかし、これら数値は、次のようないくつかの要素からそれぞれの数値に限界があります。

1)この計算に用いた記録はすでに10年前のものである。
2)過去に正確な生息数に関する数値が得られていないため、増加していたとしてもその傾向をはかれない。
3)生息数推定のために得られたデータを使用していないため、偏った算出をしている可能性と調査海域にも偏りがある。
 (すべての餌場を含んでいない。メキシコのデータは数年分が抜けている。中央アメリカは含んでいない。等)
4)遺伝子による解析を含んでいない。
5)鳴音(ソング)による解析を含んでいない。

生息数の増加傾向
世界各国の沿岸海域に来遊するザトウクジラは、商業捕鯨により激減したと言われています。しかし、1966年国際捕鯨委員会による世界的なザトウクジラの捕鯨禁止以降、直接その生息数を脅かす人間の手からは逃れています。北太平洋では、近代捕鯨が開始される以前、1900年代はじめのザトウクジラの生息数は10,000頭や15,000頭で、西部北太平洋だけでも2,500頭といわれていました。しかし、捕獲が禁止になる前年の1965年頃には、この数は1,000頭にまで減っていたと推定されています。
現在の生息数に関して、ホエールウォチングで有名な米国ニューイングランド地方の西部北大西洋やオーストラリアの東側と西側など、世界各海域で研究者達が様々な方法を用いて、算出を試みています。代表的な方法は、やはり前述のクジラの尾ビレの模様を利用した標識放流法です。また、計画した線上を飛行機や船で動き、見られたクジラの数から生息数を割り出すライントランセクト法もあります。南北の移動の途中が明らかに見られる沿岸では、陸からその数を数え、時間当たりに見られたクジラの数でその変動を割り出す試みもあります。
そして、どの方法で行なわれた調査も、ザトウクジラの捕鯨前の数にはまだまだおよびませんが、少なくとも40年近く前の捕鯨禁止時よりは生息数が回復していることを示しています。小笠原の父島では三日月山をはじめ、初寝浦展望台や千尋岩から、母島では新夕日丘、鮫ヶ先や小富士など、色々な場所から頻繁にザトウクジラが見られるのが、最近ではごくあたりまえのようになっています。しかし、一昔前は、これほど頻繁にザトウクジラが島の周りで観察されることはなかったようです。
小笠原海洋センターでは、1988年から2000年の15シーズンに、父島西側海域のみで発見したクジラの数を用いて、その経年変化を調べました。15シーズンの陸上調査での発見数9,864頭と、海上調査での発見数4,443頭の調査時間1時間あたりの発見数をグラフにすると、どちらも年を経て上がり調子であり、発見数は明らかに増えていることがわかりました(図1)。しかし、例えば同じシーズン中に父島の西側を好んで何度もやってくるクジラが増え、我々がそれに気付かず何度も重複して数えていたとすると、けっして来遊しているクジラが増えているとは言えません。これを確かめるため、写真撮影できたクジラの中からシーズン中の重複の撮影を抜き、1,535枚の写真を用いて、何頭の鯨が毎年父島西側に来たかを見ると、発見頭数と同じく上がり調子になりました(図2)。その結果、これはあくまでも発見数の経年の変動であり、生息数の推定ではありませんが、父島西側海域にやってくるクジラの数は、この15年間で明らかに増えていることがわかりました。
父島西側海域は、小笠原の中でクジラと人間の接触が一番多いところです。はたして、クジラがこの海域を好んで来ているのか?それとも小笠原全体で生息数が増えているのか?疑問は残ります。父島西側海域で見られたクジラは、聟島、母島、硫黄島、沖縄、さらにはフィリピンまで行っていることがわかっています。生息数に関しては、このような全体の移動などの情報も含めて解析していきたいと考えています。

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